当サイトでは、シマエナガの鳴き声は「ジュリリ」だと繰り返し書いてきた。この鳴き声をたよりに探すべしとも書いた。(参考:シマエナガの探し方)
ツイッターでも使っている。すっかり、自分の脳にはシマエナガの鳴き声は「ジュリリ」とインプットしている。しかし、中村大先生いわく「ジュリリ」ではなく「ツリュリュ」なのだという。以下引用。
ツリュリュ・コールはエナガに独特の発声で、この声を聞いたらエナガと思ってよい。何とも表現しにくい音声だが、ビー玉をいくつも袋に入れてゆすっているような感じの音である。ツッを発声するやいなや振動させる。決してジュルルとは聞こえてこない。ジッという濁音のはじまりではなく、ツッと澄んでいる。
出典:中村登流(なかむらのぼる)「信州の自然誌 エナガの群れ社会」(信濃毎日新聞社)
言われてみれば「ツリュリュ」とも聞こえなくない。“ビー玉をいくつも袋に入れてゆすっているような感じの音”ってなんといい表現なんだ。
このツリュリュ・コールと同時に必ず起きる動作がある。私はそれを「ぴくひく動作」と呼んでいる(中村一九六七)。これは枝の上で体を左右に激しくゆする動きと、体を前だおしにする動きが合わさったものである(図61)。前だおしとは、前傾姿勢ともいえ、飛び立つ直前のかまえた動きである。
出典:中村登流(なかむらのぼる)「信州の自然誌 エナガの群れ社会」(信濃毎日新聞社)
そして、次の引用が今後の撮影においておおいに参考になった。
問題はどういう時に、このぴくひく動作とツリュリュ・コールの連呼が起きるかである。これまで出てきたツリュリュ・コールとぴくひく動作には二つの出現法があった。一つは地上の犬や猫、あるいは人間に出合った時、もう一つは番い行動の中の雄が、目立った所に出てきて行う時だった。この二つは、ちょっと見にはかなり違った場面で出ているように思われる。第一の例は、エナガの群れに近づいた観察者がまず最初に経験するものだ。エナガは観察者の目前で、ぴくひく動作をやりながら、はげしくツリュリュ・コールを繰り返えす。フクロウやオオコノハズク、モズが枝の上に止まっている時なども同じである。しかし群れのときは、皆が集まってきて騒ぎたて、これは野次行動と呼ばれる。エナガにこのツリュリュ・コールをやられると、私はいつも「邪魔物だ、行ってしまえ」と言われているように感じてしまう。林の中を猫や犬がゆっくり歩いていても、やはり同じことをする。それをみていると、やはり「邪魔物よ、立ち去れ」と言っているようにとれる。少なくとも「行ってしまえ、行ってしまえ」と野次っているように思えてくる。野次っている相手がいたたまれずに移動し、その場から立ち去ることをうながしているようだ。
出典:中村登流(なかむらのぼる)「信州の自然誌 エナガの群れ社会」(信濃毎日新聞社)
ずっと野次られていたみたい。これまでを振り返ってみると、「ツリュリュ(ジュリリ)」という鳴き声は遭遇してからの方が聞くような気がする。そうか「ツリュリュ(ジュリリ)」はシマエナガの帰れコールだったのか。
数時間にわたって追跡すると、「ツリュリュ(ジュリリ)」と鳴く回数が次第に減り、動きもスローになり撮影のタイミングが増えるのは経験している。「ツリュリュ(ジュリリ)」と鳴いているうちは、シマエナガは撮影者のことを受け入れていないことになる。受け入れるというより景色の一部になるのだろうか。
というわけで今後の課題は、シマエナガに邪魔者扱いされないためにはどうしたらいいか?である。動き方もそうだろうし、服装も関係しているのかもしれない。前から気になっているんだけど、迷彩は鳥の目をごまかすことができるのかな。
個人的には「慣れ」が一番じゃないかなと思う。追いかけて追いかけて追いかけるのだ。
ジュリリ…ぼく、シマエナガ。 pic.twitter.com/24blD7U1Sk
— ぼく、シマエナガ。 (@daily_simaenaga) 2016年11月6日